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トラッククエスト3 〜そして統一へ〜

1569 :隔壁内の名無しさん_歌詞の投稿は注意:2017/01/28(土) 07:09:49.84 ID:Zr+Nt3gd
>>1564
野球はよくわからんので、普通に説明すると、
ビサンツが詰んでいるというより、オスマン強すぎワロタww&オスマンとの外交詰んだwwwって感じ


まあ当時の地図がこんなん。 ttp://www.geocities.jp/europiap/14/1400.jpg

かつては一時、ローマ帝国の版図をほぼ復活させていた東ローマ帝国は、すでにコンスタンティノポリスと、
ギリシャ半島にわずかな領土(ホムラが派遣されたモレアス専制公領など)をキープしてるだけの、1都市国家にまで零落している。

軍事力としては陸戦については見ればわかるレベルで圧倒されている。
海軍力については、実のところ、オスマンに対してそこまで引けを取っているわけではない。

国際情勢としては、周辺はオスマン領か、オスマンに従う小勢力。北や西にさらに進むと、東欧諸国やイタリアがいる。

で、外交だが、現状オスマンと超仲が悪い。理由としては杏子さんことヨハネス8世が、やらかした。
元々、オスマン帝国とビサンツは、先代オスマン帝のメフメト2世の時代、メフメト2世の即位に際する内乱でメフメトに付いた経緯から
同盟を結んでいて、極めて良好な関係だった。
しかしムラト2世が即位した時、杏子さん(ヨハネス8世)がメフメト2世の兄弟、を名乗る偽ムスタファを担ぎ上げて内政干渉をしようとした。
その結果ブチ切れたムラト2世は、コンスタンティノポリスを包囲。
その時は、今までの義理とか文化保護とか名目で、ビサンツの臣従などの条件で和睦。

現在オスマン帝国は、ビサンツの西側に手を広げ、勢力を従属させている。

史実だと1444年にハンガリー軍及びその援軍たちとヴァルナの戦い、
1448年にコソボの戦いを行い勝利し、東ローマへの圧迫を強めている。

幸いなことに、ムラト2世は東ローマを滅ぼすまでする気はなかったようだが、
それに続き1451年に即位したメフメト2世は、即位後手早く国をまとめるため、ビサンツの攻略に乗り出すことになる。

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